本能寺の変② 信長は暗殺されていた――室町将軍も殺された時代に

「天下を目前にした織田信長が、暗殺などされるはずがない」

そう思う方も多いかもしれません。 しかし、歴史を少し遡れば、日本の最高権力者ですら暗殺されているのです。

■ 室町将軍も暗殺されていた

室町幕府の15人の将軍のうち、少なくとも2人が暗殺によって命を落としています。

一人目が、第5代将軍・足利義教(よしのり)

義教は室町将軍の中でも特に権力を集中させ、 全国の守護大名を従えた強力な支配者でした。 しかし、ある日突然、宴席の場で部下の一人によって暗殺されてしまいます。

しかも彼の暗殺は「戦乱の最中」ではなく、 👉 政権が最も安定していた時期に起きた

のです。

二人目が、第13代将軍・足利義輝。 義輝は剣豪将軍とも呼ばれた人物でしたが、 三好勢によって二条御所を急襲され、命を落としています。

権力が強大であっても、たった一瞬の油断で命を落とす。 これが戦国以前からの、日本の現実でした。

■ 信長にも十分に”その可能性”があった

6月1日の夜、本能寺に滞在していた信長の周囲は少人数でした。 全国を号令する権力者でありながら、 👉 最も警備が手薄な状態

だったのです。

家臣との関係も、必ずしも安定していたわけではありません。 強すぎる権威の裏には、常に緊張がありました。

こうした状況下での暗殺は、決して不可能ではありません

■ 明智光秀の行動は「天下取り」ではない

もし光秀が本当に天下を狙っていたなら、 彼の行動には多くの疑問が残ります。

👉 信長を討ったあと、なぜすぐに安土城を掌握しなかったのか 👉 なぜ幕府再建を急がなかったのか 👉 なぜ、戦の準備も不十分なまま山崎で迎え撃ったのか

いずれも、天下を狙う者の動きとは言えません。

むしろ光秀は、自らが犯人となって「事後の整理」を引き受けた人物だったのではないか。 そんな見方が、じわじわと浮かび上がってきます。

■ 「暗殺」から見ると、すべてが自然に繋がる

もし事件の始まりが暗殺だったとすれば、 これまで謎とされてきた多くの点が自然に説明できます。

光秀が本能寺に到着したとき、信長はすでに何者かにより暗殺されていた。 光秀は、その現場を見て状況を理解し、事態の収拾に動いた。 火災が起きたのはその後―― 👉 “事件の処理”として発生したもの

であった可能性があります。

この視点で見ると、 光秀の行動も、火災の順序も、安土を動かさなかった理由も、 すべて「謀反」ではなく「後始末」として説明できます。

■ なぜ光秀は”犯人”を名乗ったのか

ここで一つの問いが生まれます。

もし光秀が暗殺の実行犯でないなら、 なぜ自ら「犯人」として動いたのか。

歴史を振り返れば、権力者が暗殺されたあとの日本は、例外なく混乱に陥っています。

足利義教が暗殺されたあと、幕府は権威を失い、やがて応仁の乱へ突入しました。 足利義輝が暗殺されたあと、全国は泥沼の戦乱状態へと突き進みました。

この流れを見れば、一つの教訓が浮かび上がります。

👉 「権力者の暗殺後、犯人が不明だと、世の中は必ず乱れる」

光秀がこれを知らないはずがありません。

■ 光秀の”計算”と”覚悟”

本能寺の変が起きた天正10年(1582年)は、 スペインによる植民地支配が急速に拡大していた時期です。 日本の内部分裂は、外部勢力につけ込まれる隙を生む。 光秀ほどの知略の持ち主が、そのことを意識していなかったとは考えにくい。

だからこそ、光秀は考えたのではないでしょうか。

👉 「自分が”犯人”になれば、混乱を最小限にできる」

“犯人”が明確であれば、その人物を打ち取ることで新たな秩序が生まれる。 逆に、犯人が曖昧なままでは、国は再び分裂してしまう。

光秀は、自らが犠牲になることで、 次の政権が正当性を持って立ち上がる道を作ろうとした。

さらに言えば、もし光秀が沈黙していたなら、状況はもっと悲惨だったでしょう。 信長の長男・信忠も二条御所で命を落とし、織田家には明確な後継者がいない。 犯人も不明、跡継ぎも不在―― これは、武田家の滅亡を上回る大混乱を招いた可能性があります。

光秀が自ら”犯人”を名乗ることで、人々は「敵」を明確にし、 その”打倒”によって秩序を取り戻すことができた。 結果として、彼の犠牲が次の時代を導いたとも言えるのです。

■ 信長の首が見つからなかった理由

信長の首が最後まで見つからなかったことも、この視点から見ると自然です。

光秀が信長の遺体を丁重に処理し、 “弔い”と”演出”の両方を行ったのではないでしょうか。

信長を弔うことで忠義を示し、 同時に「クーデターの失敗」という形を残す。 その「しくじり」が、後に秀吉という新しい時代を際立たせることになった。

光秀は単なる裏切り者ではなく、 👉 日本の行く末を見据えた”調整役”

だったのかもしれません。

■ 次回に向けて

では、光秀はどうやってあれほど早く本能寺に到着できたのか。 そして秀吉は、なぜあの速さで動けたのか。

次回は、この事件を裏で支えた「情報伝達の仕組み」に迫ります。 ここに、伊賀忍者の存在が見えてきます。

どうぞお楽しみに。

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