天正伊賀の乱シリーズで、一つの結論に辿り着きました。
👉 伊賀は織田軍に敗北していない
👉 本能寺の変の動機は「復讐」ではない
👉 信長の本当の敵は、別のところにあった
では、信長の本当の敵とは何だったのか。
今回から始まる「影街道」シリーズで、
その答えに迫っていきます。
■ すでに見えていたルート
これまでのシリーズの中で、
一つのルートが何度も登場してきました。
👉 伊勢→名張→宇陀→吉野
このルートについては、天正伊賀の乱④で触れました。
伊勢の北畠家と南朝(吉野)を結んでいた重要なルート。
名張がその中継点として機能していた。
この道は、表の街道ではありません。
記録にも残りにくい。
しかし確実に使われていた道です。
■ 地形図を眺めていて気づいたこと
私は地形図を見るのが好きで、
このシリーズでも何度か地形をもとに話をしてきました。
伊勢から吉野へ向かうルートを改めて眺めていると、
あることに気づきました。
吉野から西、和歌山方面にかけて、
**比較的なだらかな平野が連続している**のです。

■ 視線をさらに広げると
さらに地図を広げてみると、
淡路島を隔てた先、四国にも同じように平野が続いていることが分かります。
しかもその平野は、四国の中央部へ向かって伸びている。

■ 忍者の連絡網という視点
このシリーズで考察してきたような、
忍者による駅伝型の連絡網が存在したとすれば、
この地形は非常に高速な情報伝達を可能にします。
比較的なだらかなルートで、
要所ごとに中継点を置けば、
驚くほどの速さで情報は運ばれたはずです。
本能寺の変③で見た、
秀吉への250kmの情報伝達。
あの速さを支えた通信網は、
このルート上に存在していたのではないでしょうか。
■ 四国中央で目に入った地名
そして、
四国中央へ伸びる平野の先にある地名を見たとき、
思わず目を疑いました。
👉 **三好市**

■ ここで繋がった
名張忍者と三好氏。
天正伊賀の乱②で触れた、
伊賀惣国一揆の掟の中にある一文。
「三好や大和の国人に対しては警戒せよ」
北部伊賀が、なぜ三好を警戒していたのか。
点として考えていた二つの存在が、
このルートによって**一本の線で結ばれた**瞬間でした。
■ 私はこのルートを「影街道」と呼ぶことにした
表の街道ではなく、
記録にも残りにくい、
しかし確実に使われていたはずの道。
伊勢から名張、宇陀、吉野を経て、
和歌山、淡路島、そして四国・三好へ。
私はこのルートを、
👉 **「影街道」**
と呼ぶことにしました。
■ 次回に向けて
次回は、畿内の実質的な支配者だった三好家と、
影街道の関係について考えます。
信長の「本当の敵」の正体が、
いよいよ見えてきます。
どうぞお楽しみに。

