前回、伊勢から名張、吉野を経て四国・三好市へ至る道を 「影街道」と名付けました。
今回は、この影街道と深く結びついていた勢力―― 三好家について考えます。
■ 応仁の乱以降の「天下人」は誰だったのか
応仁の乱以降、室町幕府は事実上機能不全に陥っていました。
形式上は将軍が存在していても、 実際に天下を動かしていたのは別の存在です。
👉 この時代、「将軍=天下人」ではなかった
■ 信長上洛時の”事実上の天下人”
織田信長が足利義昭を奉じて上洛した当時、 畿内における実質的な支配者は三好家でした。
信長の上洛は、将軍を立てるための行動であると同時に、 👉 三好勢力を排除するための軍事行動
だったと言えます。
■ 信長包囲網は自然発生ではない
その後、信長に敵対する勢力が次々と現れます。
石山本願寺、各地の一向宗、浅井・朝倉、毛利、武田。
これらはバラバラに見えて、実は同じ流れの中にありました。
👉 信長包囲網とは、単なる偶然の連鎖ではなく、一つの大きな構造だった
私はそう考えています。
■ なぜ三好は語られにくいのか
大河ドラマなどでも、三好家はあまり大きく描かれません。
そのため見落とされがちですが、 信長の人生後半の十数年は 「三好との戦い」だったと言っても過言ではありません。
三好家は、どこが本拠なのかわかりにくく、 叩いても叩いても勢力が消えない。
この**「姿が見えない敵」**という性質は、 まさに忍者の戦い方そのものです。
■ 阿波の一勢力が、なぜ天下を揺るがせたのか
もともと阿波の一地方勢力にすぎなかった三好家が、 天下人となり、最後まで信長を苦しめた。
この異常な伸張は、 👉 影街道の存在なしには説明できない
と私は考えています。
阿波(四国)から影街道を通じて、 畿内の情報と人脈を掌握していた。
だからこそ、三好家はあれほどの力を持てたのです。
■ 信長包囲網の正体
私の見立てでは、信長包囲網とは 勢力の寄せ集めではなく、
👉 影街道そのもの
です。
人と情報が流れる道。 それが、信長に対抗する力を生み続けていた。
信長が生涯をかけて戦い続けた相手は、 武田でも上杉でもありませんでした。
この見えない道――影街道こそが、 信長の「本当の敵」だったのです。

■ 次回に向けて
次回は、信長包囲網の中でも 極めて重要な存在である武田信玄と 影街道の関係について考えます。
武田信玄は本当に「偶然」動いたのか。
どうぞお楽しみに。

