本能寺の変シリーズ、最終回です。
前回まで、光秀は「実行者」ではなく「調整役」だったという考察を進めてきました。
では、本当の実行者は誰か。
今回は、その問いに正面から向き合います。
■ 手がかりは、すでに登場していた
実行者を考えるうえで、これまでの考察を振り返ります。
👉 異常な速さで情報を運んだ通信網
👉 本能寺という「城ではない建物」への潜入
👉 短時間で、静かに終わった暗殺
忍術書『万川集海』にはこう記されています。
「どのような屋敷であっても、忍び込むことは容易である」
本能寺は城郭ではありません。
情報と潜入を生業とする者たちにとって、決して不可能な場所ではなかったはずです。
■ 私は「伊賀忍者」が実行したと考えています
本能寺の変の黒幕については、さまざまな説があります。
👉 朝廷説
👉 秀吉説
👉 家康説
👉 光秀単独説
その中に少数ながら、「忍者が実行した」という説も見られます。
多くはフィクション扱いですが、私はこれを
**十分に歴史的根拠を持つ仮説**として捉えています。
■ 動機は「復讐」ではない
伊賀忍者犯人説を唱える人の中には、「天正伊賀の乱の復讐」と説明する方もいます。
しかし私は、単なる復讐では本能寺の変は説明できないと考えています。
復讐は個人の感情です。
しかし本能寺の変の実行には、高度に組織された集団の動きが見えます。
戦国時代、復讐のためだけに組織が命がけで動いた例があるでしょうか。
集団が動くには、感情ではなく、**集団としての存続理由**が必要なはずです。
動機はもっと構造的なものです。
その構造については、次のシリーズで詳しく掘り下げていきます。
■ 次のシリーズへ
本能寺の変の前年、1581年。
信長は伊賀に大軍を送り込みます。
これが**天正伊賀の乱**です。
伊賀に住んでいる人間でも、ほとんど知らない事件です。
全国的にはさらにマイナーで、歴史の教科書にもほぼ登場しません。
しかしこの事件、第一次・第二次の二度にわたって起きています。
通説では「伊賀の武装勢力が信長の大軍に壊滅させられた」とされています。
三万人が犠牲になったとも言われています。
👉 **なぜこれほどの大事件が、これほど語られないのか**
そして私は、この謎だらけの天正伊賀の乱こそが、本能寺の変と深く結びついていると考えています。
次のシリーズでは、この問いに向き合います。
どうぞお楽しみに。

