影街道④ 三方ヶ原の戦い――武田信玄の本当の目的

影街道

前回、武田信玄の西上作戦は
「偶然」ではなく、織田領・徳川領の内部に
情報を通した人物がいたという可能性を示しました。

今回は、その西上作戦の本当の目的と、
**三方ヶ原の戦い**の実像について考えます。

■ 通説の西上作戦

通説では、武田信玄は大軍団を率いて西上し、
二俣城を重要拠点として攻略。
その後、浜松城を素通りしようとしたところ、
家康が追撃して三方ヶ原の戦いが起きたとされています。

信玄は圧勝したにもかかわらず撤退し、
その直後に病死した。

なお、信玄自身がどのルートを通ったのかは、
諸説あり、はっきりしていません。

■ 西上作戦の本当の目的

ここからは私の考えです。

通説では西上作戦の目的が曖昧なままです。
しかし私は、その目的は明確だったと考えています。

👉 **影街道へのアクセス**

信長が畿内を押さえ、天下に近づいていた。
信玄はその動きを見て、
自らも影街道にアクセスすることの重要性を認識した。

影街道を掌握できれば、
畿内の情報と人脈を手中に収められる。

■ そのために必要だったもの

影街道へアクセスするためには、
**渥美半島を制圧する**必要があります。

渥美半島を押さえれば、
伊勢湾を挟んで影街道の入口・伊勢と向き合える。

そして渥美半島へ出るためには、
👉 **長篠城を押さえること**が必要でした。

長篠城は、武田領から渥美半島へ出るための
重要な拠点です。

■ 信玄は少数精鋭で動いていた

通説では、信玄のいる方が本体であり、
大軍団を率いて動いたとされています。

しかし私はそう考えていません。

信玄は**少数精鋭**で伊那盆地ルートを進んだ。

③で考察したように、
影街道から武田領への情報は
伊那盆地を通るルートで届いていました。

信玄はそのルートを逆流することで、
影街道に近づきながら
畿内の最新情報をリアルタイムでキャッチできる。

少数精鋭だからこそ、
情報に応じて素早く動ける。

一方、大軍団は南下ルートで進軍し、
長篠城での信玄との合流を目指していました。

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■ 三方ヶ原で何が起きたのか

大軍団にとって、
浜松城の攻略は目的ではありませんでした。

目的は長篠城での信玄との合流です。
だから浜松城は素通りした。

ところが三方ヶ原付近で、
大軍団に不穏な情報が届きます。

信玄の容体が急変したという知らせです。

大軍団は立ち止まらざるを得なかった。

そこへ、浜松城を素通りされた家康が
追撃してきました。

👉 **信玄はこの戦いの場にいなかった**

それでも武田軍は圧勝しました。
しかし徳川軍を追撃しませんでした。

信玄に合流することが急務だったからです。

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■ 信玄はすでに死んでいた

私は、三方ヶ原の戦いが起きた時点で、
信玄はすでに危篤か死亡していたと考えています。

大軍団はそのまま帰路につきます。
遠江から武田領へ帰るには、
地理的に二俣城を通るしかありません。

天下を取れる位置にいながら引き返したのは、
総大将を失った軍団に
それ以上進む理由がなかったからです。

■ もし作戦が完遂されていたら

もし信玄が生きていたなら――

長篠城を大軍で押さえた瞬間、
岡崎の徳川信康と伊勢の北畠具教が完全に寝返る。

渥美半島は一気に制圧され、
徳川家康は滅亡の危機に瀕していたでしょう。

そして影街道と武田が直接繋がった瞬間、
信長もまた相当追い詰められていたはずです。

しかし信玄の死によって、
この壮大な計画は未完のまま終わりました。

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■ 次回に向けて

信玄亡き後、後を継いだ武田勝頼は
この計画を諦めませんでした。

次回は、長篠の戦いについて考えます。

なぜあの場所で、あれほどの決戦が起きたのか。
影街道という視点で見ると、
長篠の戦いはまったく違う意味を持ち始めます。

どうぞお楽しみに。

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